実家にかえってそろそろ1週間ですが、やっと青森特有のゆったりとした時間の流れに慣れてきました。

で、こうやって日記を書いたりしてるわけですが、青森にいる間は研究はしないといつも決めているので、そのぶんいろいろなことを考えます。

まあ、研究についてはいつもいろいろ書いているし、あまり詳しい内容を同じ研究室の人に見られるとはずかしいので、今回はたまーに小説について書こうと思います。

とりあえず、以前、感想を書いた「知の欺瞞」以降、脱現象とか脱構築(別にこれはモダニズムだからあんまりソーカルとかとは関係ないけど)とかという、いままで現代文学についてまわった、くだらない注釈には興味がわかなくなりました。

もちろん一般的素養として、構造主義くらいまでは知っておくと、いろいろ知ったかぶりもできて楽しいですが、じっさい今の日本の純文学って呼ばれているものは、そんなことを知らなくても楽しめます。

今回の芥川賞に関して言えば、19歳の小娘が書いた小説などおもしろい訳がないので、スルーだとして、ちょっと前の芥川賞の吉田 修一の「パークライフ」について述べます。

芥川賞も別に純文学なんて意識はあまりなく、いまはエンターティメントに徹しきっていない作品群の中から賞を与えるくらいのニュアンスでやっているとおもうのですが、まぁ、とりあえず芥川賞に連なる作品を今の日本では純文学と読んでいるとしましょう。

かるく余談ですが、村上春樹の「神の子どもたちはみな踊る」を読んだとき、「あぁ、これで村上春樹も芥川賞とったな」と思ったのですが、結局そんな話もなく、あとで調べてみたら、村上春樹に関しては日本の文壇でいろいろあって、そういう賞はもう取らないんじゃないかということがわかりました。もしとったら、宮部みゆきが直木賞取ったときのいまさら感以上のものを感じてしまいそうです。とりあえず、今の日本の文壇で村上春樹になんか意見いえる奴ってよほどの恥知らずじゃないと難しいと思います。

、、、話はずれましたが、この「パークライフ」という作品はなかなか見事な作品でした。

とりあえず、こういう作品を読む場合、まず、主人公の視点がいかに読者に新しい気持ちを与えてくれるかというのがキーになります。それは共感でも拒絶でも驚愕でもなんでもいいんですが、ここになにか胡散臭さとか小説として嫌らしさを感じてさせてしまうとそれはつまらない作品になってしまいます。

その点でこの「パークライフ」という作品は、すがすがしい感情を与えてくれました。なんか小説読んだ後、こんなにさわやかな印象を持ったモノもなかなかないので、逆によく覚えています。

純文学といえば、かなり前ですが、舞城王太郎が「阿修羅ガール」で第16回三島由紀夫賞受賞しました。このときの審査員の宮本輝と福田和也のコメントが異常におもしろかったので印象にのこっているのですが、こいつは本当に、拒絶と驚愕という感情を与えてくれる作者です。

講談社ノベルズで密室本という促販以外のなにものでもない本当にくだらない企画があった時に、なんやかんやいって、いくつか読んでみたのですが、舞城王太郎の書いた「世界は密室でできている。」はまれにみる傑作でした。舞城王太郎の作品はいつもゴテゴテしていて、醜くて、それでいて驚異的な作品なのですが、この「世界は密室でできている。」はそれらがすべていい方に作用して、作品として、一種異常な完成度になっていました。

どうせなら、この本に第16回三島由紀夫賞を与えてしまえばよかったのですが、この本は全くミステリー要素がないくせにミステリーの様式をとっているという形式なので、なかなか純文学の賞は与えられません。結局、このミスで密室本のなかでは異例の高得点をだしたくらいで終わってしまいましたが、まったくもったいないことをしました。(編集者がね)

舞城王太郎については他にもいろいろ書きたいことがあるので、一度機会を設けて、書くとして、まぁ、そういうわけです。

とりあえず、焼き肉おいしかったです。

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