いままでこのblogを読んでいたみなさん、ごめんさい。政治とか経済とか芸術とか偉そうなことを書くやつだなー、と思っていたことでしょう。こいつ、オタク、オタクって言ってるけど、ただのインテリかよ、と思っていた人も多いと思います。

もう、今度から偉そうなことは書きません。

凡人として、自分の限界を自覚しながら、それでも凡人として生きます。(by極東学園天国)

とりあえず、予備知識として、この記事とかを読んでおくといいかもしれません。

ア●ナミラーズのジレンマ
http://www.age.ne.jp/x/digichar/feat22.htm

まぁ、そんなわけでこの今世紀最大のイベントは決まってしまいました。

それではお話させていただきます。

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3時10分に東京駅に着きました。道中では伊坂幸太郎の「オーデュボンの祈り」を読んでました、こいつは傑作ですが、そんな話どうでもいいですよね。さっさく、Kにメールです。

G「着いた。今どこにいる?」

K「秋葉原駅前のセガのゲーセンの中です。」

もう、とんとん拍子に話が進んで行きます。まったくよどみなく、淡々と物語が流れていきます。まるでリミッターのないカセットテープレコーダのように、淡々と物事が進行していきます。

秋葉原駅前のセガのゲーセンでKと遭遇です。
こころなしかKの顔にも緊張の色が伺えます。あのジェイソンシリーズを飯を食いながらでも笑顔でみられるKの顔にです。

G「んじゃ、行きますか」

というわけで、KとGの秋葉原魔空間ツアーは幕を開けたのでした。

、、、といいつつ、二人ともメイド喫茶なるものがどこに在るのかも知りません。

G「大丈夫、大丈夫。こんなのコンビニ行ったらどうにかなるって。」

(、、、おまえ、まさか店員に聴く気か?)

Kの顔に一瞬焦りの色が浮かびます。
まぁ、結局店員に聴くこともなく一命は取り留めました。ここで、

K「とりあえずこういう時はマックに行って考えよう」

ということになり、マックに向かいます。
そこでKが秋葉原飲食店マップなる小冊子を発見。さすが頼りになる男です。

そこには、メイド喫茶「Cure Maid Cafe」とコスプレ喫茶「カフェ・メイリッシュ」の名前があります。

ここで、じゃあ、どうせだし梯子しよう、ということになり(なんでだ?)近場のメイド喫茶「Cure Maid Cafe」から行くことになりました。マジ、近くにあったので、ほとんど迷うことなくメイド喫茶「Cure Maid Cafe」に到着です。

、、、6階かよ。行ったらもう引き返せないってオチかよ。

Kはかなりひるんでいます。まぁ、エレベータの前でうろちょろしてるほうが明らかに危ない奴なので、ここで引き返す法はない(byバシリスク)とばかりにGはKをガシッとつかみ突入しました。6階までのエレベータはかなり長く感じました。

で、着いたのですが、、、普通です。店員がメイドの格好をしているだけの普通の喫茶店です。客層もちょっとオタクっぽい外人だったり、受験生だったりで、なんか秋葉原らしさはありません。アンミラの方がひどいくらいです。

GもKも拍子抜けしました。で、結局Kとなぜか経済談義に華をさかせ、IMFとアメリカの戦略とか、アジアでの通貨の今後についてとか、その場に似つかわしくないインテリトークをしてました。そして、二人とも飲み物を飲み終わり、ケーキも食ったので、会計して出ていきました。

ここで、あまりの普通さにKなどは、

K「こんなの普通にこれからも使えるね」

などと言ってましたが、それは無理です。冷静になってください。

ここまでで、KとGはなめきってました。次に行くだろうコスプレ喫茶「カフェ・メイリッシュ」も所詮このぐらいだと思ってしまったのです。しかし、それは秋葉原という日本最大の魔窟をなめきった行為でした。まさしく破滅的な行為だったのです。

これから待ち受ける過酷な運命もしらずKとGはコスプレ喫茶「カフェ・メイリッシュ」に向かったのでした。

続く、、、

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以上のことはすべてフィクションであり、架空の出来事です。ここに書いてあることを鵜呑みにして、彼らの人格を推測するような愚行を犯す人はいないと信じております。またこの物語に登場する人とわたしとは全く関係がございません。

フィクション

2004年2月29日 オタク
こんにちわ。gamellaです。

これからここに記すことはすべてフィクションであり、架空の出来事です。ここに書いてあることを鵜呑みにして、彼らの人格を推測するような愚行を犯す人はいないと信じております。またこの物語に登場する人とわたしとは全く関係がございません。

それでは、お話させていただきます。

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そのあまりにも愚かしい考えが浮かんだのはGが実家から変えるバスの中でした。これからGは東京までバスで2時間30分、電車で2時間30分という長旅を控えており、そのテンションは一種異様なほど盛り上がっていました。

(そういえば、今日はKの誕生日だったなぁ。まさか誕生日に予定が入ってないということはないとは思うけど、もしかしたら暇かもしんないし、誕生日祝いをしてあげようかなー)

とGは考えました。そして、Kにメールを送ったのです。

G「3時10分に東京駅着くんだけど、秋葉原でメイド喫茶逝ってみない(爆)」

、、、あほか。

ノンタイムの高速レスポンスでメールがかえってきました。

K「魑魅魍魎ですよW俺は覚悟完了してますが。」

、、、まじかよ、こいつ。

ぶっちゃけます。ネタで送ってました。普通に行く気はありませんでした。

しかし、彼からのメールは『覚悟完了』という「覚悟のススメ」を読破した者にとっては避けて通ることのできない返事でした。
ここで退くわけにはいかねぇ、手が勝手に動きます。

G「当方に迎撃の用意アリ!!」

、、、あぁ、やっちゃったよ、そう思いながらも必死でメールを打ちます。ぶっちゃけ、ここでもまだ彼が退いてくれることを期待していました。ていうか、普通、退くよね?

その次の彼のメールで俺は自分が引き返せない底なしの沼に陥ったことを知ったのでした。

K「俺はデータを捨てる!うっし、猫耳に会いに逝くか。」

、、、終わった。まじ、終わった。しかも、テニプリネタかよ。こいつやっぱり半端ねぇ(間違った方向にね。)

こんな具合で、KとGの今世紀最大のイベントは始まったのでした。

続く、、、

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以上のことはすべてフィクションであり、架空の出来事です。ここに書いてあることを鵜呑みにして、彼らの人格を推測するような愚行を犯す人はいないと信じております。またこの物語に登場する人とわたしとは全く関係がございません。
きましたよ。ついに、Amazonから昨日、届きましたよ。

早速、CDプレーヤに繋げて聴いてみます。
、、、ふーん、まあまあじゃん。

1600円のスピーカと考えたらかなりの音が出てます。
たぶん、6000円くらいのスピーカと同じレベルでしょう。
コストパフォーマンスとしてはかなりいいです。あと、結構薄くておされです。

ただ、おれはJBL製しか聴かないぜ、というポリシーを持ってる人は買わないほうが無難かもしれません。1600円ですから。

政治と芸術について

2004年2月25日
「SOUL for SALE」のロックンロール⊇政治を読んで、久しぶりに政治と芸術について考えさせられた。

http://www.socion.net/soul/index.php?itemid=275

この前六本木ヒルズの森美術館に行ったとき、そこに在ったのは現在世間で芸術ともてはやされているものの「最大公約数」的なものだった。奈良美智や村上隆などだ。こいつらは何らかの形で政治に言及している。

以前、東京近代美術館に行ったとき、世界大戦以降の作品はアウシュビッツの陰を落とし、その後ベトナム戦争などが、そして、今は9・11が作品の中に大きな影響を与えていると書いた。

しかし、「SOUL for SALE」のロックンロール⊇政治を読んで、その認識は間違いだったのでではないかと考えた。

「政治に言及する芸術」という形式を我々が望んでいるのではないだろうか?

芸術が政治に言及するということは大きな危険性を持っている。安心して鑑賞できるものを作ってないと逆に見る者を白けさせるおそれがあるからだ。
この「安心して鑑賞」というのは、反でも肯定でもどっちでもいいのだが、言及された時それが反論でも肯定でもどたらでも結局制作者のプラスにしか意味をなさないという安心感を作品が持つことを意味する。
これがきちんと出来ていないと、その作品は政治をネタにしただけ芸術であり、政治がもつ「だったらどうしたらいいんだよ」という本質的に代替案を求める姿勢を崩すことができない。

政治は簡単に行ってしまえば、お祭り的なものである。それに参加しているものにとってはこれほどおもしろいものはないが、参加できないものにとってはこれほどつまらないものはない。政治に言及した芸術の多くは、政治に参加できないものによって鑑賞される。この時に、上述の政治に対する言及の仕方が重要になってくる。それは反、肯定という姿勢ではなく言及の仕方、代替案など意味をなさない言及の仕方である。

で、やっと冒頭にもどるのだが、森美術館にいったときこの政治をネタにした芸術を展開していたのが、奈良美智とオノ・ヨーコである。

「SOUL for SALE」のロックンロール⊇政治に、

つまり、ジョンは「政治をネタにするアーティスト」だったけど、ヨーコは「アートを資源にする政治家」だったんじゃないか。


ということが書かれてあった。俺の感覚では、オノ・ヨーコは芸術家を名乗っていい姿勢を保持していない。森美術館でもオノ・ヨーコが愛だの平和だののメッセージを送っていることに対して共通の違和感、それ以上の忌避感を感じた。しかし、それが実際は平気でまかり通っている。

もし、俺の感性が正常だとしたら、一つの可能性として、「政治に言及する芸術」というものに対する需要がじつはかなりの量で存在しているということが考えられる。その潜在的な需要に芸術家が応えているのではないかということをふと思った。

PS

その後、考えた結果、「芸術的な政治」というものを望んでいる気もしたが、それはまた今度。
この記事ですが、かなり株価操作の臭いを感じます。
やり方が杜撰なわりに、報道の仕方が足並み揃いすぎてるよね。

プロフィール

2004年2月24日
100の質問答えてみました。

あとこのコメントがおもしろ。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040217

前の日記で俺も村上隆嫌いと書きましたが、かなりうまくその気持ちを表現してくれています。
この二人の作品ってなんか、結構違うのにすごい似た作品のように感じてしまいます。

なんでだろうと思って、考えてみました。

まず経歴を見てみます。

伊坂幸太郎は東北大学法学部を経て、SEになり、そのあと、2000年に「オーデュボンの祈り」で新潮ミステリー倶楽部賞を受賞しデビューしています。

石田衣良は成蹊大学経済学部を経て、広告制作会社に勤務後、フリーのコピーライターとして活動。その傍ら小説を書き、平成9年「池袋ウエストゲートパーク」で、オール讀物推理小説新人賞受賞し、デビューしています。

この社会人経験というやつが、しっかりと二人とも作品に生かされており、その辺が同年代からの熱い支持の源になっているところがあります。

とりあえず、二人とも間隔がかなり現代なんですよね。しゃれたユーモアと構成が達者なところとか。あと、感じ方そのものとか。
これが、大学を出てすぐ作家として成功しちゃったりすると、こういう間隔ってなかなか身に付かないものなのかもしれません。

じつはこの二人は友達らしく、二人が直木賞に同時にノミネートした時も、「どうせ落ちるから、一緒に飲みに行こう」なんて、メールをしていたらしいです。そしたら、石田衣良が直木賞取っちゃったのでそのあと「ずるいじゃないですか(笑)」ていうメールが来たとかっていう話をこのミスで見ました。

まぁ、伊坂幸太郎はあと3年以内には間違いなく直木賞をとると思いますが、とりあえず、今はいっぱい小説書いてほしいです。直木賞取るととたんに刊行ペースが鈍ったり、エッセイとか、映画とかに走ったりするので。

そういえば、乙一が「ジョジョの奇妙な冒険」をノベライズでトリビュートしているようです。かなり難航してるようですが。これはちょっと楽しみです。

ええと、とりあえず、今は結構この二人に注目しています。あと、乙一も結構好きです。
勢いで買ってみました。

到着したらレビュー書きます。
とりあえずネットでの評判は最高によかったので、、、

だって1600円ですよ、1600円。
実家にかえってそろそろ1週間ですが、やっと青森特有のゆったりとした時間の流れに慣れてきました。

で、こうやって日記を書いたりしてるわけですが、青森にいる間は研究はしないといつも決めているので、そのぶんいろいろなことを考えます。

まあ、研究についてはいつもいろいろ書いているし、あまり詳しい内容を同じ研究室の人に見られるとはずかしいので、今回はたまーに小説について書こうと思います。

とりあえず、以前、感想を書いた「知の欺瞞」以降、脱現象とか脱構築(別にこれはモダニズムだからあんまりソーカルとかとは関係ないけど)とかという、いままで現代文学についてまわった、くだらない注釈には興味がわかなくなりました。

もちろん一般的素養として、構造主義くらいまでは知っておくと、いろいろ知ったかぶりもできて楽しいですが、じっさい今の日本の純文学って呼ばれているものは、そんなことを知らなくても楽しめます。

今回の芥川賞に関して言えば、19歳の小娘が書いた小説などおもしろい訳がないので、スルーだとして、ちょっと前の芥川賞の吉田 修一の「パークライフ」について述べます。

芥川賞も別に純文学なんて意識はあまりなく、いまはエンターティメントに徹しきっていない作品群の中から賞を与えるくらいのニュアンスでやっているとおもうのですが、まぁ、とりあえず芥川賞に連なる作品を今の日本では純文学と読んでいるとしましょう。

かるく余談ですが、村上春樹の「神の子どもたちはみな踊る」を読んだとき、「あぁ、これで村上春樹も芥川賞とったな」と思ったのですが、結局そんな話もなく、あとで調べてみたら、村上春樹に関しては日本の文壇でいろいろあって、そういう賞はもう取らないんじゃないかということがわかりました。もしとったら、宮部みゆきが直木賞取ったときのいまさら感以上のものを感じてしまいそうです。とりあえず、今の日本の文壇で村上春樹になんか意見いえる奴ってよほどの恥知らずじゃないと難しいと思います。

、、、話はずれましたが、この「パークライフ」という作品はなかなか見事な作品でした。

とりあえず、こういう作品を読む場合、まず、主人公の視点がいかに読者に新しい気持ちを与えてくれるかというのがキーになります。それは共感でも拒絶でも驚愕でもなんでもいいんですが、ここになにか胡散臭さとか小説として嫌らしさを感じてさせてしまうとそれはつまらない作品になってしまいます。

その点でこの「パークライフ」という作品は、すがすがしい感情を与えてくれました。なんか小説読んだ後、こんなにさわやかな印象を持ったモノもなかなかないので、逆によく覚えています。

純文学といえば、かなり前ですが、舞城王太郎が「阿修羅ガール」で第16回三島由紀夫賞受賞しました。このときの審査員の宮本輝と福田和也のコメントが異常におもしろかったので印象にのこっているのですが、こいつは本当に、拒絶と驚愕という感情を与えてくれる作者です。

講談社ノベルズで密室本という促販以外のなにものでもない本当にくだらない企画があった時に、なんやかんやいって、いくつか読んでみたのですが、舞城王太郎の書いた「世界は密室でできている。」はまれにみる傑作でした。舞城王太郎の作品はいつもゴテゴテしていて、醜くて、それでいて驚異的な作品なのですが、この「世界は密室でできている。」はそれらがすべていい方に作用して、作品として、一種異常な完成度になっていました。

どうせなら、この本に第16回三島由紀夫賞を与えてしまえばよかったのですが、この本は全くミステリー要素がないくせにミステリーの様式をとっているという形式なので、なかなか純文学の賞は与えられません。結局、このミスで密室本のなかでは異例の高得点をだしたくらいで終わってしまいましたが、まったくもったいないことをしました。(編集者がね)

舞城王太郎については他にもいろいろ書きたいことがあるので、一度機会を設けて、書くとして、まぁ、そういうわけです。

とりあえず、焼き肉おいしかったです。

焼き肉

2004年2月23日
焼き肉食べました。
またもや、タンをいっぱい食べました。

おいしかったです。。。
今日も案の定、筋トレをした後は、暇だったので、「波のうえの魔術師」という本の文庫本を読みました。

前回の直木賞をとった石田衣良は、前々から秋葉原をネタにした小説を書いてみたりとちょっと気になっていたので、手頃なサイズの文庫を見つけて読んでみました。
たぶん、世の奥様方にはワイドのコメンテータしてる方が有名かもしれませんが、この本読んでちょっとコメンテータしてる理由もわかりました。

ストーリー的には、市場の株取引の達人の老人からフリータの若者がレクチャーを受け、株取引の世界にはまっていくという話なんですが、この人の経済というものの捉え方がおれと同じだったので、まずびっくりしました。

日経新聞のCMで「あれもこれもみーんな経済」というキャッチフレーズがありましたが、あの言葉は正確には、「あれもこれもみーんな経済ということにしようよ」というニュアンスなんだと思います。経済という枠組みがどのように社会に組み込まれているかを理解するにはもってこいの本です。かなり一から教えてくれます。

この中で印象的だった言葉といえば、主人公にたいして彼女がいった、

「わたしはこんな台詞、くだらないテレビドラマだけだとおもってた。でもいうよ。わたしを取るか、マーケットを取るかはっきりしてほしいの」

という台詞です。こんな陳腐な台詞を確信犯的に使い回しているあたりが、たぶんこの人の小説の本質に近いのかなと思いました。乱暴な話にすれば、こういう表現を小説内で使うか使わないかというのはかなり小説において大きな要素なのです。(俺の中では)

あと、株取引の入門書的な意味では、おそらく最高かつ最悪なものなので、興味のある人は読んでみるといいかもしれません。

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あと、一応参考までに、俺がいつも見てる経済に関係のあるblogといえば、

田中宇の国際情勢ウェブログ http://tanakanews.com/blog/
週間!木村剛 http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/

とかでしょうか。
ニュースサイトは有名どころを読んでるだけですが、上の二つはおすすめです。
今日、ネットサーフィン(もう死語か?)をしてたらちょっとおもしろい記事をみたので紹介します。

まず、ブリトニーの乳首が取り外し可能というお話です。
僕の大好きなサイトABC振興会で以前取り上げられていました。

http://abcdane.net/archives/000816.html

あと、ラムズフェルド米国防長官が中国拳法の使い手なのではという話です。

http://www.poe-news.com/features.php?feat=31845

ていうか、本当に更新頻度高いな->俺。
前回、科学者についてのかなり青臭いことを書きましたが、実際、どんな研究をすべきなんだという話になったとき、俺たちの研究会がしている今の研究は生物というモノに対して今までみることのできなかった視点から多くの知見を提供するだろうということを言うことは出来ます。

その根拠は簡単にいうと戦略の違いです。

自分でいうのもなんですが、俺は論文をかなり読みます。自分の興味をもった分野なら、今の研究に関係あるか、ないかに関わらず、かなり読んでいると思います。

それで思うことは、ほとんどの生物学者は漠然と頭の中できちんと組み立てられたモデル(理解という言葉を使ってもいいです)で生物というものの仕組み、本質が理解できるという幻想を持っているということです。

Natureの情報生物学の総説でゴールドベターは言いました。

「現時点でモデル構築作業は職人芸に近い。」

これはまさしく本質をついています。

ある機能を解明する研究と、その機能を組み合わせてシステムを構築し、システムを解明する研究があるとします。
これらの労力が、一つにつき、等価であると仮定した場合、機能を組み合わせシステムを構築する労力は機能の数が増えるに従って、組み合わせが増大することから指数的に上昇します。生物は機能の固まりですので、機能を組み合わせシステムを構築する労力はかなり高いと推測されます。

このシステムは人間だけで、理解するのは不可能なので、現在ほとんどの生物学者は何らかの形でコンピュータを利用していると思います。森博嗣の言葉を借りれば、逆説的な表現ですが「現在、コンピュータを利用せず研究を行うことはもはや一つのスタイルとして認めるべき」水準にまで達していると思います。

しかし、基本的にコンピュータが提供するのは、機能をきちんとした情報として保持してくれることだけです。そこからシステムを構築するのは、現時点ではゴールドベターの言うとおり職人芸です。

これをクリアするためにはよくできたシステム(ソフトウエア)がその作業をサポートする必要があります。とりあえず、今の研究手法を根本的に変えない限りは、それ以外に方法はないと思います。

そんなわけで、俺らの研究会は、生物学的な研究と平行して、ソフトウエアとアルゴリズムの研究もしているわけです。そして、そのなかでもソフトウエアに力を注いでいるわけです。

まぁ、完全なシミュレーションが成功しても結局そこから新しい知見を引き出すのは人間の役目なので、コンピュータが出来るのはそこまでなのですが、とりあえず、そこから先のことは今の目標が達成してから考えればいいというのが、今のところの俺のスタンスです。

これが、では全体の科学というもののなかでどんな位置づけになるのかという事はまた今度機会があったら書こうと思います。どうせこの話題は青臭いものになっちゃうので。

たまには近況報告

2004年2月20日
こんなに頻繁に更新してると暇人なのではと思われてしまいますが、間違いなく今は今年に入って、もっとも暇な状況です。

で、一日を振り返ってみると。

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起床。実家にいるとやはり異常に目覚めがよい。いつもはあまり食べない朝飯も用意されてたらそりゃ食べます。その後、ブラックコーヒーを飲み、一服。



近くのめちゃうまいラーメン屋に昼飯を食べに行く。この店は東京にあったら間違いなく、行列のできるラーメン屋になっている。はっきり言って、中華そば系のさっぱりラーメンでここよりうまいところは食ったことがない。少なくとも藤沢にある有名店で言えば、中村屋、めぐろより確実にうまい。しかも大盛り550円。青森は物価が止まっています。

その後、市営の図書館に本を借りに行く。以前Kが合宿で読んでいた吸血鬼大好きな筆者の小説と、直木賞をとった江國香織の「泳ぐには安全でも、適切でもありません」を借りてくる。

で、さっそく吸血鬼大好きな筆者の作品を読んでみるが、これがなにがおもしろいのかいまいちわからない。

話のところどころにエロが入ってきて、その間に化け物同士の戦いが入ってくるという構造を延々と繰り返す、俗に言う「バイオレンスエロス」の類ということは認識できたが、表現が硬質な割に状況、心情描写が稚拙という微妙さ加減。

ていうか、状況描写が嫌いなのかなこの作者。

多分、この筆者を好きな人はこの人の描いてるイメージがすぐ頭に浮かぶのだろうが、初めて読む者にそれは無理。たぶん、もう読者を絞っているのだろう。今の森博嗣みたいなもの。小説家としては、良くある傾向。ただし、このアクの強さは好きな人はかなり好きになるのかなー、とも思った。そんな感じ。呼んだ本の題名も忘れたけど。

ただし、化け物同士がセックスをする描写はうまい。その部分だけ抜群にうまい。普通の人はまず考えないと思うことをやすやすとこなしている。

、、、まぁ、コメントはしない方向で。



たまには俺がご飯をつくろうという流れになり、最近、開発した「セロリとトマトとひき肉のパスタ」を披露。これは最近もっとも好きなパスタであり、かなり好評。ただ、ちょっと実家はしょうゆが濃口で味付けに戸惑った。

その後、近くの温泉に行く。車で5分。で、サウナに20分近くはいる。これはリフレッシュというより、強制リセット。かなり、気持ちよかったです。その後、いろいろ電話したり。

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なんかこんな感じでした。うわー、なんもしてねーな、俺。
とりあえず、明日は市営のトレーニングジム行って汗流そうかと考えてます。

めざせ健康優良児。

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と、編集している間にこの日記についに100の質問に答える新機能が追加されました。いくか、「サイトの管理人さん、100回ぼけましょう」。
なんかこんな機能もついたみたいなので、実験もかねて。

ハイヤー。05年って来年じゃん。

しかし、日本で世界クラブ選手権とは。これはかなり楽しみ。しかし、六大陸6チームってことは、欧州、南米、北中米カリブ海、アジア、アフリカ、オセアニアってことだけど、これは大丈夫か?たぶんアジアは日本のチームかトルコリーグのチームがくるとして、オセアニアってきちんとしたチームあるのかな?

なんか疑問だらけの世界クラブ選手権ですが、単純にそんなお祭りが日本で開かれるというだけでうれしいです。一試合くらいチケットとって見に行きます。

トヨタカップと違って、8日間で行うトーナメント戦なので見応えも十分だし、おそらくすべてのチームが欧州代表をつぶしにくると思うので、これはかなりたのしみです。
そういえば、彼女に教えてもらったのですが、今回のブリトニー・スピアーズのPVはエロすぎです。

ていうか、これ裸じゃん、かつ、コスプレじゃん。(彼女の話によると全身タイツみたいなもの?らしいです。)
なんか、アメリカでもこのPVは問題になっているらしくて、MTVの日中に放送するのに適さない楽曲リストにあがってました。で、こんなこと書いてしまうと見たくなってしまう人がいると思うので、いろいろ調べたところ、このサイトでみれるようです。

http://www.vh1.com/artists/az/spears_britney/artist.jhtml

このサイトの"Toxic" というところをクリックするとPVが始まります。

マドンナが子供のお受験のためにセックスシンボルをやめたいま、実質アメリカのセックスシンボルって、ここまで騒ぎになっているところをみると、今はブリトニーなのかも。セックスシンボルって、騒がれることがもっとも重要ですので。

さてここから久しぶりにオタクな話題なんですが、このPVにちらほらと見える日本っぽいイメージはどこから見ても僕の好きな映画の「ブレード・ランナー」の町のイメージなんですが、そこでブリトニーはスチュワーデスとか牝豹とか、怪盗とかいろいろな”コスプレ”をします。これって、日本的にはもうやり尽くされた古いPVの形なんですけど、アメリカではいまこれがかなり評価が高いようです。(もちろんブリトニーがやっているからなんですが。)

これ、一瞬、なんでだろうと思いました。

そこで思ったことは、日本人 (ていうか俺)が思っている以上に日本文化が浸透するタイムラグがでかいんじゃないかということです。つまり、日本人がコスプレだな、アニメだの、漫画だのそういうかなりあれげな文化を作ってきたものが、やっと、ドラゴン・ボールとかポケモンとか比較的当り障りのない作品を通して、アメリカとかヨーロッパ社会に入っていって、今、その土壌が整ってきたところなんだと思います。

このタイムラグに俺は一瞬何でだろうと思ったわけです。

このままいくと、そのうち、もっともコアな作品とかががんがん入っていくとおもいます。今秋葉原ではやっているような普通の人にはかなりひかれちゃうものもそのうち日本の大きな輸出物になるかもしれませんね。なんせ、外国人が日本語の学ぶ理由の上位に日本の文化に触れたいっていうのがあるくらいですから。あ、この日本の文化って絶対にオタクな文化のことだと思われます。たけし映画が海外で高い評判を受けてるのも、そういう漫画的な要素を映画に見出してるある種のパターンなのではないかと考えてます。

そういえば、この前雑誌で、外国で人気のあるアニメランクをみたら、「フリクリ」とかがランキング上位にあったので、もしかしたら日本より健全にとんがった市場になる可能性も捨てきれません。(「フリクリ」はとんがりすぎだけど。)

まぁそういうわけでした。

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mmatsuuraさんお気に入り登録させていただきました。

帰省

2004年2月19日
実家の青森に帰省しました。

大学生やっている以上、長期休みにかえって、元気な顔を家族に見せるのがつとめでもあるので。

しかし、この帰省というイベントは青森県民の俺にとっては大変です。
まず、東京駅まで行って、新幹線「はやて」に乗り込みます。ここまでは一時間くらいでいけるのですが、そのあと、「はやて」で2時間30分かけて、盛岡に行き、そこから高速バスでまた2時間30分かけて弘前に行く訳です。

これは疲れます。もうぐったりします。というわけで今、実家です。
「ラブ・アクチャアリー」を彼女と海老名のヴァージン・シネマで見る。

快作。もう、まごうことなき快作。信じられないくらいの傑作。

僕は基本的におしゃれムービーと俺自身で勝手に読んでいるような、さわやかな後味を残す映画が好きなのですが、ラブ・アクチュアリーはそういう意味では本当にいい映画です。隣の彼女にはばれないようにしてましたが、最後の最後で泣いちゃました。

いやー、ネタばれになっちゃうので詳しくは書きませんが、これ見に行く価値大ありです。イギリス映画の意地を見ましたね。

しかし、一つだけ難点をいえば、これ、題材がクリスマスなんですよね。クリスマスのあの映画の不作の時期にもってきたらだんとつ一位とれたのになー。いかんせん、ロード・オブ・ザ・リングが相手だときついかもね。
最近、漠然と将来について考えたりする。

まだよくわからないが、将来的に俺が生物学者になるというヴィジョンはあまりよくわかない。たぶん、それなりにやっていけるだろうとは思うが、そこに俺の全力を傾けられるかどうかとなるとすごい難しい気がする。

その理由の一つに、おそらく俺の生きている間に生物学は完成しないだろうという実感があるからだ。

たとえば、人間はどこからきたのか?なぜ生きるのか?そして、どこへ向かうのか?というような2000年前から議論している問題に対して、答えることが科学者の役目だとしたら、少なくとも、生物学者はその根元的な問からかなり逃避しているとおもう。それ以上に哲学者とかも逃避してそうだけど。

なぜなら、今のアプローチではその問に答えることなどできないことを知っていて、みんな研究しているからだ。

この前話した、「いけてる研究、いけてない研究」もそうだ。実に矮小なくだらない考え方である。ジョジョ世界だったら、「豚にでも食わしておけ!!」くらいのくだらない考えだ。もしこれを確信犯としてやってなかったと考えたら寒気がする。

まぁ、とりあえず、今日もこんなことを考えながら研究をしているわけだが、少なくとも、自分に矮小感を抱かない仕事を見つけたいと考えている。親からもらったあと2年間の時間をフルに使ってそのことを追求したい。

、、、

それにしても、今日は青いこと書いたなー、って思った。
最近、アクセス解析を見ていると、このページをみるひとの半数がgoogleから飛んできているという事実に驚く。

しかもその半分はエロワード。うわー、日本もまだまだ捨てたもんじゃないなーと思う。

あとは、うちの研究会の人が半分、俺の友達がちょっとといったところか。

しかし、mt-rgアンテナはすごいなぁ。ここで嘘かいておけば、ちょっとは印象かわるかな?

「genome大好き!!」とか。(Kのぱくり)

ーーー

で、そんなことはどうでもよくて、このまえ虎の門という深夜番組を見てた時のしりとり王決定戦のおもしろさは異常でした。

とくに決勝戦の有田対板尾の対決はすばらしく、なにがすばらしいかというと板尾の解答がすばらしかったのです。

お題が「悪そうなもの」というもので、縛りは、「何々の何々」という風になかに「の」を挟まなければいけないものだったのですが、そこで板尾はいきなり、

「うのの結婚観」という解答をしました。

天才だよ、あんた天才だよ。

爆笑しました。だって、最後に「ん」ついてるし。しかし、これを思いついた手前しりとりに負けても言わなければならないという気持ちも分かります。

そのあとも、「made in china」とかやりたい放題でしたが、それにしてもおもしろかったです。

結局、板尾が勝利し、「勝負に勝って、しりとりにも勝った」という展開でした。有田はいいところなかったです。やはり凡人です。

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